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2006年3月20日
株式会社小島衣料 小島 正憲
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2002年10月、小島衣料は、中国市場進出を狙う日本の中小アパレル企業のファッション展示会を、上海世貿商城の国際展示会場で敢行した。しかし私の企図は、多くの中小アパレル企業や団体や政府系機関から、時期尚早と一蹴され、大失敗に終わった。
2005年11月、ジェトロ主催・経済産業省後援で、日本のアパレル企業のファッション展示会が、上海世貿商城の国際展示会場で盛大に行われた。しかしすでにこのとき、中国のアパレル小売市場は分割され制覇済みとなっており、日本の中小アパレル企業の出る幕はなかった。
つまり日本の中小アパレル企業は、中国市場に、3年、出遅れたのである。
2001年末、中国はWTO加盟を表明した。これを受けて私は、中国が世界の市場になることを予測し、日本のアパレル企業の中国売り込みの足がかりを作るために、上海市内で常設展示と卸売りができるような物件を探した。その結果、上海では上海世貿商城(通称:上海マート)のみが、ビル内に店舗形式で3000ブースを持ち、なおかつ国際級の展示会場を併設しており、好条件を備えていることがわかった。そこで、当時はまだ空室の多かった上海マートに頼み込んで、5階(20u×約200ブース)の全ブースを借り切って、そこに日本アパレル企業だけの卸売市場=上海日本服装商城を作ろうと考えた。当初、上海マート側はその案に難色を示したが、なんども交渉を繰り返し、多額の担保金を納めることで、貸切に成功した。
このとき小島衣料は中国に工場進出して10年を経ており、中国各地の百貨店への製品小売商売も展開していた。その経験から、日本の中小アパレル企業が単独で中国市場に乗り込むことはたいへん難しいと考えていた。だから上海マートに、日本のアパレル企業が100社ほど集結すれば、情報交換や中国の政府機関との交渉、各種イベントの共催、各地小売店などへの共同出店、輸入業務の窓口共用、弁護士や税理士などとの共同提携など、日本の得意な団体戦ができると読んだ。しかもこの上海日本服装商城が上海の名物となり、中国のみならず世界中のバイヤーが参集するにちがいないと考え、日本アパレル企業の中国進出の橋頭堡になると確信していた。
その後、マスコミをはじめとして、多くの媒体で宣伝活動を行ない、多くの日本のアパレル企業にも、私自身が直接勧誘に歩いた。もちろん業界団体や政府系機関にも頭を下げ、入居を依頼して回った。しかし残念ながら、ほとんどのところで時期尚早といわれ取り合ってもらえなかった。そしてなんの成果もないまま、ずるずると半年がたち、このままで行くと担保金まで没収されかねない事態に陥った。
しかたがないので、さらに自己資金をつぎ込んで、思い切ってファッション展示会を企画してみた。私はふたたび日本のアパレル関連企業を訪ねて回り、12社の賛同を得て、それを開催にこぎつけた。もちろん経費は全額小島衣料負担で、参加各企業には無料とした。さらに私はこの展示会を成功させるために、中国各地の百貨店のバイヤー数十名を呼び寄せたり、ここに多くの洋裁学校の先生を招待した。目玉としてファッションショーや大野順之助先生の立体裁断ショーなども行なった。この作戦は見事に成功し、展示会期間中の中国人来展者は千人を越えた。
これらの努力の結果、10数社の日本アパレル関連企業の上海マート入居が決まった。だが、身銭を切ってこんな試みをしても、100社には遠く及ばなかった。その後、岐阜県への協力事業としてモデルのオーディション(全額:小島衣料負担)も行なったりしたが、結局、この上海日本服装商城構想はアイディア倒れで終わり、小島衣料は大損をし、この事業から手を引いた。
しかしながら3年後、ジェトロ主催の展示会が、上海マートで行なわれることになった。はからずも私の先見性が証明された形となったが、私は、残念ながらこの3年間で、すでに中国のアパレル小売市場の分割は終わってしまったと見ている。超高級品分野は欧米の著名ブランドメーカーが押さえ、高級品ゾーンは香港・台湾資本の商品が市場に横溢し、中級品以下は温州商人の独壇場となってしまっている。ここにこれから日本の中小アパレル企業が進出するのは至難の技であると思う。仮定のことながら、もし3年前に、この上海マートに上海日本服装商城が成立していたならば、日本の中小アパレル企業も中国市場の一角に食い込めていたはずである。ちょうどその時期には、まだ百貨店をはじめとする小売店が、仕入先を探していたからである。3年前に私に賛同していただき、上海マートに拠点を構えられた日本のアパレル関連企業の方々は、これらの中国企業とすでにかなりの実績を積み上げられている。これがなによりの証明でもある。
上海マートの5階には、その後、入居者もじょじょに増え、現状ではアパレル関連企業が30社ほどになっている。今後も増え続け、おそらく100社に近くなり、当初の目論見どおり、日本ファッション街になるであろう。しかしビジネスにはタイミングが重要である。たとえば私の経験からいえば、中国への工場進出がもっとも儲かったのは、1991年から1994年までである。その後の時期は当社のみならず多くの同業他社が、少なからず苦戦を強いられている。それから考えると中国市場への進出も、すでにタイミングを逸したと思っている。だからこの失われた3年間は、本当に惜しい気がする。
蛇足ながら、この上海マートのオーナーは、シンガポール華僑財閥:欣光集団の陶欣伯氏である。彼は1997年に、上海の将来の発展を見越して、300億円を投じてこのビルを建設した。当初は入居者がなく、大赤字が続いていたが、10年後に花が開こうとしている。このような華僑の長期展望に立った戦略を考えると、3年遅れ程度で、負け犬根性を出していてはいけないとも思う。中国市場は巨大であり、まだまだチャンスはあると思うべきなのだろう。
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