ハルピンとユダヤ人

「ハルピン・世界ユダヤ人経貿合作国際論壇大会」参加報告
                                                 
2007年6月21日
小島 正憲
≪本文要旨≫
  • 戦前、ハルピンにはユダヤ人が3千人ほど居住しており、営利事業を展開していた。
  • イスラエルのオルメルト現首相は、ハルピン生まれであり、本年1月墓参に訪れている。
  • 中国政府は、ユダヤ資本を東北地方に誘致することによって、経済の活性化を企図している。
  • イスラエル首脳は、国際的孤立からの回避戦略として、中国との接触をふかめておきたい模様。
  • 中国・イスラエル両国首脳の思惑が一致し、上記の大会が開催の運びとなった。
  • この大会には、ロシアのユダヤ自治州の副州長も参加していた。
 ≪本文≫

 6/14〜17の4日間、黒竜江省ハルピン市において、上記の大会が開催された。私はこの機会を利用し、ユダヤ商人との間に商流を築くことを企図して、琿春工場の中国人総経理や琿春市政府幹部といっしょにその会議に参加した。

 戦前、ハルピンにはかなりの数のユダヤ人が居住していた。一般には約3万人の白系ロシア人と約1500人のユダヤ人がいたと伝えられているが、日独同盟という緊張状況の中で自らロシア人を名乗るユダヤ人が多く、実際の人数はかなり上回っていたと考えられている。彼らユダヤ人はハルピンの東清鉄道と油房工業を背景にして、大きく事業を展開していた。物資を鉄道で、ハルピンから綏芬河を経由してウラジオストック港へ運び、上海などへ売りさばき、大きな富を築いていたという(以上は安部桂司先生の満鉄研究結果から引用)。その後、中国が共産党政権下となり、残念ながらユダヤ人実業家の活躍の場はなくなり、ほとんどがハルピンを去った。

 2007年1月には、ハルピン生まれのイスラエルのオルメルト首相がわざわざ墓参に当地を訪れた。そしてこの訪問がハルピンとユダヤ人の歴史的関係を呼び覚ますことになった。そして東北地方の経済振興を模索している中国政府、ことに黒竜江省政府首脳が、ハルピンとユダヤ人のかつての良好な関係を活かし、ハルピンにユダヤ資本の誘致をもくろみ、今回の大会の開催にこぎつけた次第である。

 この大会は14・15の両日が展示会などに割かれ、16日が式典、17日が墓参などというスケジュールで開催された。式典への国別のユダヤ人参加者は、イスラエルから14名、ロシアから11名、米国から6名、ハンガリーから10名などで、実業家・学者・政治家などの面々であった。これに主催者側として中国人が43名参加していた。その中に場違いな日本人として、私が1人だけ参加したというわけである。式典はにぎにぎしく開会され、ハルピン市長、イスラエル駐中大使、中国イスラエル友好協会会長などの挨拶や発言が続いた。いずれも過去の関係を重視し、これからの経済協力を強くうたい上げたものだった。中国語・英語・ロシア語・イディシュ語などが飛び交い、結構おもしろかった。さらにハルピン育ちで、現イスラエル在住ユダヤ人が著した「私の心の中のハルピンユダヤ人」という本の中国語訳の出版記念会が盛大に行われた。

 午前中の式典はスケジュール通り、粛々と行われていたが、この間に舞台裏では、いろいろな商談が活発に展開されていたようだ。私の前列に米国からの投資家が参加しており、式典中にもかかわらず、なんども席を立ち、会場を出入りしていた。昼食時の話では、どうも彼らは大型商談をまとめていたようであった。残念ながら、参加ユダヤ人の中にアパレル関係者がいなかったので、私は商談の糸口すらみつけることはできなかった。もちろんユダヤ人と中国人との合作の舞台に、関係のない日本人が、なんの事前工作もなく参加したわけだから、成果がなくて当たり前であった。それでも私は、参加者名簿の中にあったロシア:ユダヤ自治州の副州長に、だめもとでと思い、面談を申し込んでみた。

 このユダヤ自治州というのは、黒竜江省の北部に隣接するロシアのハバロフスク地方にある。ソ連邦時代には、レーニンの民族政策のもとで、スターリンの大号令により、この地にソ連中のユダヤ人が移住を求められたという。この歴史的事実について、私はかなり以前から知っていたが、「なぜ極東ロシアのこの地が選ばれたのか」が、理解できずにいた。しかし当時のソ連政府やユダヤ人が、ハルピンのユダヤ人と連携して事業を展開するということをもくろんで、この地を選んだと考えれば、それも経済的合理性があり納得がいくストーリーではある。それでも実際には、スターリンの大号令にもかかわらず3万人しか移住せず、この計画は頓挫した。しかも1989年以降のソ連崩壊で、この地を捨てドイツやイスラエルに再移住する人があとをたたず、現状では3千人ほどが残留している程度だという。

 今回の大会には、このユダヤ自治州から、副州長が参加していた。私はこのロシアのユダヤ自治州に縫製工場を建設するという意志を表明して、その副州長に面談を求めたのである。なぜならユダヤ自治州は地理的に琿春工場からのコントロールが可能であるし、またニューヨークのアパレル企業がほとんどユダヤ人であることや、彼らがモスクワ市場にも大きな影響力を持っていることを考えると、この地に縫製工場を建設することが営業上で大きな効果を発揮すると考えたからである。

 意外にも副州長から、午後2時に、ホテルの部屋に来てほしいとの回答があった。私はさっそく会議場をあとにして、副州長の部屋を訪ねた。彼は小柄で温和な感じのするユダヤ人で、私を笑顔で歓迎してくれた。私が工場進出の計画を話すと、すぐに賛意を表明し、工場物件の紹介や輸出入手続きなどの説明をしてくれた。その対応は、今まで私が会ったロシア人とは、まったく違うスピーディかつ柔軟なものだった。私は彼に、8月にユダヤ自治州を訪れて、工場立地のための実地調査を行うことを約束して別れた。彼の話によれば、現在、ユダヤ自治州には日本企業は進出しておらず、外資は韓国企業が1社あるのみだという。なお、このユダヤ自治州はモスクワの直轄州になっており、ロシアの他州と比べると経済開放に積極的だということであった。

 驚いたことに、翌朝、イスラエルから電話が入った。この副州長の弟がイスラエルに在住しており、欧米向けのアパレル事業を展開しているというのである。電話の内容は、ぜひ取引をしたいとのことであった。わが社はただちに香港事務所経由で具体的商談に入ることにした。

 17日は、ユダヤ人参加者といっしょに、観光バスでハルピン市内にあるユダヤ人の旧居などを見て回った。ユダヤ人の教会や学校、病院、老人保養施設などの建物が、今でもしっかり保存されており、それぞれが中国人の手で有効に活用されていた。それらのすべての建物の前面には、「ユダヤ人の歴史的建造物」と書いた白い大理石の板が埋め込んであった。午後には、ハルピン郊外のユダヤ人墓地に行った。そこはハルピン市所有の大きな墓地であり、その1区画がユダヤ人専用の墓地になっていた。そこには2000人ほどのユダヤ人が眠っているという話だった。整然とならんだ墓標には、すべてダヴィデの星が刻んであった。このようにきちんと保存されている墓地は、世界でも珍しいということであった。そこで、多くのユダヤ人参加者が小さな帽子をかぶり、お祈りをささげた。私はいちおう仏教徒なので、参列者の後ろの方で静かに手を合わせた。