昨今、中国を市場としてとらえ進出する企業が多くなった。わが社の上海事務所への訪問客からも、販売代金の回収についての質問が必ず出るようになった。それに対して私は、「中国では<買ってもカネを払うな>が常識ですから、代金回収は難しいです」と、答えることにしている。するとたいていの人は、「たいへん遅れた異常な社会ですね、そんな国ではまっとうなビジネスはできませんね」といって、進出を諦めてすごすごと帰国の途についてしまう。たしかに私も中国では自己防衛のために、この国の慣習に従って<買っても払わない>ことがある。日本人の私でもそのような態度を取ることがあるのだから、一般に中国では代金回収は困難なことである。しかし中国を一方的に異常な国だ非難することはできない。なぜなら異常なのは、日本も中国もお互い様だからであり、「どちらが早く正常な国に戻るか」の勝負だからである。
日本では<借りたカネは返すな!>という題名の本が、今年、ベストセラーになった。2匹目のどじょうをねらった<続・借りたカネは返すな>まで、出る始末である。これはたいへん異常な事態であると思う。小学校では、<借りたら返す>のを、社会常識として一生懸命教え込んでいるのに、なぜ、大人の社会では借りたカネは返さなくてもよいのだろうか。そしてそれを堂々と主張し、指南する本がまかり通り、ベストセラーになり、今や<借りたカネは返すな>が社会の合言葉になろうとしているのか。むしろこんな日本こそが、異常な社会というべきではないか。
しかも民事再生法という悪法が成立したため、昨日まで借金まるけで青息吐息だった業者が、その借金を合法的に踏み倒すことによって、翌日から世間を大手を振って歩くことが可能となった。昨日までの不良会社が苦もなく優良会社に転身してしまい、その結果、従来のビジネス環境を一変させてしまうのである。つまり転身した怪物会社にとっては、それまでの不良債権という重荷がなくなるため、取引先へのダンピングをはじめ、あらゆる営業手段を取ることが可能となり、市場は切り取り次第となるのである。逆に真っ正直に、営々と努力し続けた無借金の善良会社にとっては、昨日まで死に体だった悪徳業者が、とたんに強力なライバルとして出現し、その事業を脅かすことになるのである。今日の日本は、正直に営業を行っていた善良業者が馬鹿を見て、<借りたカネを返さない>悪徳業者が救済され、彼らがおおいに栄える社会なのである。この社会が異常でなくて、なにを異常というのか。
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高校時代に日本史の授業で、鎌倉時代に徳政令というものが発令されたことを勉強した。その悪法は、その後も幾度となく発令され、それを狙った徳政一揆さえも起こるようになっていった。そしてその結果、いずれの時代の社会も荒廃した。モラルが崩壊するからである。いかなる理由であっても、<借りたカネは返すな>ということを許してはいけないことは、すでに歴史上で証明済みなのである。いかなる理由があろうとも、それを許せば道徳が崩壊し、真面目に努力する人間が駆逐され、やがて社会が崩壊してしまうからである。だから現代の徳政令ともいうべき民事再生法や公的資金の投入などという悪事を許すべきではないのである。
本来、人間は借金をすべきではない。会社経営も無借金を心がけるべきである。ましてやデフレの時代に、借金をすれば、返済することがきわめて困難である。だから幼児期から、質素倹約・勤倹貯蓄を教えこみ、借金をしないように教育すべきである。ところが消費者金融という名の高利貸しが、堂々とテレビでCMを流し、茶の間に進出している。また巷では商工ローンが中小零細業者を蝕み、090金融などという得体の知れないものが弱者につけ込み、暴利をむさぼっている。このように借金が公認で、それに携わる人々が昼間から大手を振って歩く社会は、やがて多重債務者を激増させ、企業のみならず個人にも現代の徳政令を必要とするようになり、やがて社会を崩壊させることとなる。
もちろんこれらの社会現象は、資本主義の本性であるともいえる。資本主義の盟主と仰がれる米国は、世界最大の債務国であり、全米国民の預金を借金が上回っているという。また個人破産やチャプター11(日本の民事再生法の手本)による借金棒引きが横行している。かたや資本主義世界の第2位である日本は、個人が金持ちとはいうものの、国家の借金はばく大である。しかもこの国家財政の破綻について、だれも責任をとろうとはしていない。お先真っ暗な状態である。このように先進国といわれる資本主義国では、借金生活が常識となり、さらにそれを踏み倒すことが常識となりつつある。<借りたカネは返すな>という思想は、政府から一般人の間にまで深く浸透しはじめている。しかも資本主義国民には、これを異常事態であるという認識すら希薄になってしまっている。
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