「反日感情は、工場経営とは無縁」
                        6.JAN.05
                        小島正憲

  2004年度の日中関係で特筆すべきは、やはりサッカーのアジアカップにまつわる中国人の反日感情問題であろう。たしかにテレビなどで報道されたあの雰囲気は異常であったし、実際に北京での最終戦の夜には、上海総領事館から外出自粛の連絡が入ったほどだった。その後しばらくの間、日本のマスコミなどでは中国人の反日感情に関する論議が繰り返され、世論調査では日本人の中国嫌悪の数値が跳ね上がる結果となった。しかし私の中国公司の工場現場では、反日感情の悪影響はまったくなかったし、平穏そのものであった。もちろん最終戦当夜の上海は、総領事館周辺を含めてきわめて安穏であった。

  私は15年前から、中国で合弁縫製工場を経営してきた。最盛時には湖北省に4工場、上海に1工場を持ち、従業員総数は1万人を越えた。私はこの間で、中国人の反日感情に困ったという経験はまったくなく、無縁であった。ことに湖北省黄崗県の合弁工場は、東北抗日戦争の勇者である林彪将軍の生誕地にあったが、そこでも日本軍の悪口などを聞いたことがなかった。むしろ共産党地方政府要人や、合弁パートナー、さらに多くの中国人労働者に助けられ、今日を迎えている。  11年前、私は上海市の西の外れに、郷鎮企業をパートナーにして合弁公司を作った。この公司は設立当初から好業績を続けたので、鎮政府はもとより、対外経済委員会、公安、税務、労働、税関などの関係部局もきわめて協力的であったし、地元の幹部や労働者も非常に好意的であった。そこでも反日などと言う文句とは、およそ無縁であった。3年後、私の工場から500メートルほど離れたところに、新しく日本から企業が進出してきた。その企業も当初は案外羽振りがよく、給与も高かったので、私の工場からも何人かの社員が移っていった。ところがしばらくすると、その社員たちがぼつぼつとまた戻ってきた。不思議に思ったので彼らに理由を聞いてみると、最近、その工場では交通事故が何度も起き、社員が大怪我をしたり、幹部が連続して原因不明の病気になったり、不吉なことが連続して起こり、あげくの果てには深夜に人気のない工場内で電灯がひとりでについたり消えたりし、工場が亡霊に祟られていると言ううわさが広まって、社員がいっせいにやめはじめたというのである。さらに詳しく聞いてみると、彼らは小さな声で、その工場のある場所は、戦争中に日本軍がこの地の農民を大量に虐殺したところなので、その亡霊に祟られているのだという。数ヵ月後、そのうわさ話は立ち消えになり、その工場の経営も再び軌道に乗った。しかし鎮政府幹部の話によれば、その地での日本軍の行為は事実であったという。私は私の合弁公司の近くにそのような場所があったということを知って、贖罪意識に苛まされ、いささか陰鬱な気分になった。しばらくの間は、その工場の近くを通るたびに手

を合わせたものである。同時にこの11年間、鎮政府幹部をはじめとした地元の人たちが、そのことを一度も私に抗議することなく、常に暖かく協力してくれたことに心の中で深く感謝した。

  逆に私は、1997年から約3年間、東南アジアでもっとも親日感情が溢れているミャンマーで、縫製工場経営を行った。 すでにそこには、香港人、台湾人、韓国人などの大型縫製工場が操業していた。日系では私の工場が第一号であったので、私は親日的なミャンマー人の優秀な工員たちが、操業開始とともにそれらの企業から大挙して転職してくるにちがいないと思っていた。ところが現実にはただの一人も馳せ参じなかった。確かにミャンマー人は、中国人に比べて従順であり、仕事を教えることは楽だった。けれどもせっかく教えた工員たちが、わずかな給与の差で、突然他企業に移ってしまうということが多く、そこには親日的であるというメリットはまったくなかった。しかも苦心惨憺して150人規模にしたとき、合弁パートナーから突然契約解消を言い渡され、途方にくれてしまった。やむをえず日本語の上手な親日派ミャンマー青年の紹介で、工場を借り、独資経営に踏み切った。ところが新工場に全設備を運び終わったとき、家主が事前の契約を反故にし、3倍の家賃を請求してきた。驚いた私はすぐに全設備を工場外へ持ち出そうしたが、門を閉ざされてしまい、手も足も出せなかった。あの親日派ミャンマー青年と家主がグルで私をだましたのである。この無法な事態に、警察も、政府当局も、弁護士もすべてがとりあってくれなかった。私は泣き寝入りするしか仕方がなかった。それでも私はそんな親日国ミャンマーで、3年間、工場内宿舎で寝泊りし、陣頭指揮で経営を続け、最盛時には600人規模まで拡大した。しかし想定外の東南アジア通貨危機の影響を受け、万策尽きて、大損をして撤退した。その期に及んでも親日感情の強いミャンマー人は、最後までだれも私を助けてくれなかった。

  現実の工場経営には、反日、親日という感情は無縁であり、それによって業績が左右されるということはない。それよりも、その工場がいかに儲かって、その地域にどれだけ多く貢献できているか、また現地労働者にどれだけ多くの賃金を払うことができているかという現実的な問題が重要なのである。確かに暴動などの事態となれば、反日感情が津波のように襲ってくることは否定できない。そのときは素早くかつ潔く撤退すればよい。それがビジネスである。またそのような事態ともなれば、反欧米感情も起こり、日本企業と同様に欧米企業なども収奪の対象となるだろう。