「中国を母、米国を父として
育った明治以降の日本」
中国滯在が長い私は、最近いつも中国人と間違えられる。街角で、方言の強い中国語で道を尋ねられたりして、たびたび立ち往生する。通訳と日本語で立ち話をしていた時、通りすがりの中国人に、「変な言葉ですね。どこの少数民族ですか」と聞かれたこともあった。
日本人は顔や体型が中国人とほとんど同じなので、中国社会の中に同化するのは比較的簡単なのである。そのうえ漢字・儒教・仏教など日本人の思想的根幹はすべて中国から学んだものであるから、思考方法や発想法も似通っている。街中がハングル文字で埋め尽くされている韓国と比べると、簡略化されてはいるが、漢字があふれている中国の街に入ると母のふところにも似た安堵感を覚える。考えてみれば、古来、日本人は中国を母として育ってきているのである。
日本人は明治維新以降、欧米先進国に追いつくために、懸命の努力をしてきた。さらに戦後米国の占領下で、民主主義や科学的・合理的思考方法を学んだ。敗戦という初体験はそれらを抵抗なく受け入れさせる要素となった。米国の占領政策は、いささか強引とも受けとめられたが、その厳しさが現在に生きているのである。
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たとえば25年前、私の会社が対米向け輸出に精力を傾けていたとき、私の工場に米国人バイヤーが現れ、現場に立ち入るなり、「オー、ベーリー スロウリー」と言い放った。彼の検品の厳しさや工場運営に対する鋭いアドバイスをいまだに忘れることができない。
工場経営に関して言えば、フォードシステムやQCは、米国の指導なしには日本に定着していなかったのである。戦後、日本は米国を先生として、父として育ってきたのである。
その後、日本人は、ドル、オイル、円高など幾多のショックをかいくぐる中で、米・中双方の文化的遺産の上に、独自の努力を付け加え、日本的経営として完成させ、経済大国となるに至った。
さらに幸運だったことは、戦後の日本では左翼の思想的影響が強く、団塊の世代を中心に、マルクス・レーニンをはじめとして毛沢東などに親近感を抱いた者が少なくなかったことである。したがって日本人は、現在、中国の街頭にある巨大な毛沢東像や、壁・建物に大書してあるスローガンに、それほど違和感を持たないのである。この点が、反共を旗印として来た米国人と比べると決定的に違っている。
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