しかもSARSは戦争や暴動ではなく、伝染病である。したがって予防対策を万全に整えれば、ある程度、対処可能である。工場に万全の予防をさせた上で、日本人派遣社員を残留させ、操業を続行させることは不可能なことではない。しかし経営者にとって、日本人派遣社員の生命を守る立場から、この際、不要不急の派遣は中止すべきであるし、できうることならば引き上げさせるべきでもある。これらの矛盾を解決するための、最善の方法は、経営者自らが現地に滞在し、陣頭指揮をとることである。こうすれば工場を稼動させつつ、日本人派遣社員を引き上げさせ、同時に中国人社員たちの信頼を失わずにすむ。また突然の事態にも、現地で迅速にトップ決済ができる。このような危急存亡のときに際してこそ、経営者が体を張って、現地工場経営に携わるべきなのである。中国進出企業の日本人経営者は、逃げ腰にならず、現地にとどまり、敢然としてSARSを迎え撃つべきである。
中国政府の必死の努力にもかかわらず、さらにSARSが全土に蔓延していった場合、残念ながら工場閉鎖という事態もありうる。しかもそれが長期化した場合は、深刻な事態に陥り、取引先にも大きな迷惑をかけることになる。経営者はそれらの事態を想定して、日々刻々と変わる工場環境を現場でしっかり把握しておかねばならない。また有事の際には、取引先にリアルタイムで状況報告しながら、指示があればただちに代替工場での振り替え生産が可能な態勢をととのえておかねばならない。最近では、中国工場といえども、すべてがクィック生産になっており、大量に製品在庫を積んではいないから、これらの対応は、取引先に迷惑をかけないために必須の条件である。
中国での移動を必要最小限にし、予防を万全にしていても、自分自身や日本人派遣社員が、知らないうちにSARSに感染している場合もありうる。不幸にもそうなった場合は、日本には帰国せず、中国で隔離治療を受けねばならない。SARSが治療法のない感染病である以上、日本社会への伝染を防止するためには、あえてそのような処置をとらざるを得ない。言葉の不自由な中国で、隔離治療を受けることはたいへん不安であるが、それはやむを得ない。幸い上海の日本総領事館が、日本語対応可能なSARS対策病院として、肺科医院を推薦してくれている。それは上海虹橋空港からタクシーで40分ほどの場所にある。入院時に2万元のデポジットが必要とのことなので、まさかの場合には、日本社会に迷惑をかけないために、現金を持ってその病院に駆け込むことがのぞましい。
SARSはやがて必ず終息する。しかしこの大騒動は確実に中国経済に大打撃を与える。経済学者の多くが成長率の2%ダウンを予測しているほどである。なかでもこの間、都市から地方に拡散した人間が失業者の大群になっており、これが内乱の誘発要因になると指摘するウオッチャーもいる。目下のところ中国政府は、国家の総力を挙げて、SARSの封じ込めに取り組んでいるが、SARS終息後の経済復興もさらに大きな課題である。まさに中国政府にとって、SARSは前門の虎であり、経済の失速は後門の狼なのである。
終息後、中国政府はこれらの難題を解決するために、よりいっそうの改革開放政策を押し進めねばならないだろう。ところが頼みの外資は、社員の中国派遣を躊躇し、また中国一極集中の怖さを知り、分散型戦略に転換するだろう。そこで中国はそれら逃げ腰の外資を呼び戻すために、超優遇政策を取り、改革開放激進政策を掲げるはずである。その場合、当然のことながら中国政府はこのSARSの期間中、中国から引き上げず、体を張ってその拠点を守った経営者に、まずその恩恵を優先的に与え、外資超優遇のモデルを作ろうとするはずである。まさにそのとき大ビジネスチャンスが到来するのである。だから日本人経営者は逃げ出してはいけない。今こそSARSを迎え撃ち、きたるべきビジネスチャンスを両手を広げて待ち受けるべきである。
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それでもSARSのような予想外の事態は、今後も起こりうる。近い将来、中国に天変地異や政治動乱が起こるかもしれない。今回、SARSをだれ一人として予測できなかったように、第2のSARSに匹敵する災難の中国襲来をだれも否定することができない。たとえば上海に地震が襲うかもしれない。そうなった場合、「雨後のたけのこ」のように乱立しているビル群は壊滅し、たちどころに中国経済が麻痺してしまうだろう。また三峡ダムが決壊したら、長江下流の主要都市はまたたくまに水没してしまう。そんな空想よりも、北京周辺の水不足はすでに現実の問題として深刻であり、早く解決しなければ首都が五輪大会を待たずしてゴーストタウンになってしまう。したがって、経営者はこれらの事態に対処するために、中国の中でも、各地に拠点を分散させる戦略をとらなければならない。少なくとも華北・華東・華南・西部など、それぞれかなり離れた地点に基地を確立しておくべきである。しかもそれらの規模はできる限り小さくし、工場閉鎖などという事態に際して、被害を最小限にできるように工夫しておかなければならない。これは、今後増加するであろう労務紛争などにも有効である。
さらに事業の安定的拡大を考えた場合、中国一極集中のリスクの分散を図り、他国にも拠点を築いておかなければならない。かつて私は香港返還時の中国内乱を予測して、リスク回避のためミャンマーに代替工場を作った。結果は無残な失敗に終わったが、そこから多くの貴重な教訓を得ることができた。リスク回避のためだけに拠点を作る場合、それは当面不要不急な事業であるから、どうしても赤字操業が避けられない。したがって弱小企業が単独で行うには、本当に体力を必要とするし、きわめて難しい。このような場合にこそ、取引先や商社、政府機関との密接な関係を保ちながら、それぞれに資金を負担し、協調して事業を行うべきなのである。製品の日本向け輸出を想定する限り、他のどの国で操業しても、中国には勝てない。それを承知の上で、赤字覚悟で他国に展開するわけだから、痛みを分かち合わないと事業を存続させることは不可能である。
また、中国以外の地で事業を展開するのならば、対日よりも対米向け輸出を主体とした方がはるかに儲かる。中でも繊維製品を対米向けに輸出するのならば、米国が優遇政策を適用しているヨルダンやマダガスカルなどの国が、断然有利である。また第2のSARSを予測した場合は、中国の近隣諸国を避けた方が賢明であるから、これらの国を選択肢の中に入れるべきである。私は昨年、ヨルダンの工場に技術指導に赴いたし、今も日本人社員をその工場に技術指導のため派遣をしている。さらに今年1月には、マダガスカルに飛び、現地工場との提携の可能性を探っておいた。両国とも立派な華僑の工場が多数あり、私たち日本人が技術面でてこ入れすれば、対米向けの高級製品を作りだすことは容易である。しかもイラク戦争が終了したので、米国の中東経済支援政策が発動され、ヨルダン工場がますます有利になると予想される。日本の商社やアパレルも、第2のSARSへのリスク回避策を真剣に考えるならば、思い切ってヨルダンやマダガスカルなどに展開し、平常時は対米向け製品を扱い、緊急時には日本向けに切り替えるという芸当を視野に入れるべきではなかろうか。そうすればリスク回避のための工場でも、黒字化でき存続可能である。私は喜んで、その先兵をさせていただくつもりである。
SARSは、生産基地を国際化させ、市場を国際化させ、人脈を国際化させる。いよいよ日本人経営者も、国際的視野に立って、第2のSARSを迎え撃つ時代に入ったと自覚し、行動を開始すべきではなかろうか。
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